Hitch the world

-Just a documentary on my journey-

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天空ドライブ 

オシュは気に入った。

特にバザール。

Osh

規模は大きく、商品は見ていて飽きるけど、

人の服装や顔つきが様々で、飽きない。

Osh

人柄も穏やかで、やさしい感じがする。

Osh

旧ソ連の慣わしなのか、

面倒な滞在登録をオフィスで完了し、肉を食いまくる。

Osh

巨大な羊の串焼き”シャシリク”が、たった50円!

Osh

たらふく食ったあとは、次の目的地、ジャララバードへ向けて車探し。

そしてまたバザールの徘徊。

Kyrgyzstan

ジャララバードへはタクシーで2時間。

バスは不通のようなので、高いけど仕方ない。

オシュ-ジャララバード間はなだらかな丘陵地帯で、

景色は最高。

Kyrgyzstan

ユウタマエダ氏のiPODを車につなげ、BGMも完璧。

最高のドライブだった。

Kyrgyzstan

ジャララバードはなんてことはない町。

Jararabad

町の人に見所は何?とインタビューすると、

自信満々で、「無し!」との回答が得られる。

Jararabad

寂れた旧ソ連時代の建物に泊まり、

翌朝には首都ビシュケクへと出発した。

休憩を入れて、約10時間のドライブだ。

Kyrgyzstan

乗り合いタクシーの乗員は、

ウズベク系の顔の陽気なドライバー、

クルグズ系の気のいいおばさん、

そのおばさんのお母さん。

彼女らは陸路でモスクワまで行くという。

みんな巨大だ。。。

Kyrgyzstan

ロシア語やお茶をカップに注ぐときのマナーなんかを教えてもらい、

丘陵地帯を抜け、山岳地帯、雪山地帯、そしてまた丘陵地帯へと抜けていく。

ウズベク系が多いオシュと違って、北部のビシュケクはロシア系が多い。

またもや巨大なロシア人のママが切り盛りする、

場末のうらびれたバーで食事を取り、その夜は泥のように眠った。
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大清池 

首都ビシュケクは旧ソ連の計画都市。

カザフスタンとウズベキスタンのビザ取得のため長逗留しているが、

街はヨーロッパのように綺麗で、緑が多く、人も親切なのでまだ飽きていない。

それに、なによりも旧ソ連の雰囲気。

でもあくまでここはロシア人が闊歩する大都会。

本当のキルギスタンを垣間見るには、

やっぱり大自然の中で過ごさない手は無い。

というわけで、イシク・クル湖という巨大な湖を一周する小旅行に、

ユウタマエダ氏とともに出発した。


マルシュルートカという乗り合いバンは、

晴天に恵まれて少し汗ばむ陽気のビシュケクを、

予定より遅れて昼前にのんびりと出発した。


最初の宿泊地、タムチ村までは5時間。

車窓からは雪を被ったアラトー山脈がきらきらと輝いている。

運転手にここだと言われてバンを降ろされたところは、

レストランもバーもカフェもすべて閉まっている、場末の雰囲気たっぷりの田舎村。

まずは宿探しだ。

村人に場所を聞きながらふらふらと大通りから一歩折れると、

まっすぐ伸びた小道の先に、真っ青な湖面が見える。

当たりだ!と思った。

このタムチ村は、

オシュで泊まった民宿の情報ノートにオススメとして書いてあり、

期待せずになんとなく訪れただけの場所だったのだ。


シーズンはまだ始まっていないので、

なんとなくチェックインした民宿の宿泊客は太鼓腹のロシア人おじさんだけ。

一泊2食付で300円くらい。

ここの家族は親日的で、これは明らかにスペシャルプライスだ。

Issik-kur

宿の目の前には真っ青なイシク・クル湖が広がり、

その湖面の向こうには、蜃気楼のような雪の山脈が屏風のように広がっている。

最高峰ポべダなど7000m級の山々がそびえるテルスケイ・アラ・トー山脈だ。

絶景。。。

Issik-kur

玄奘三蔵がここを訪れたときは、僕とそんなに変わらない歳だ。

彼は国禁を犯して26歳の時に密出国し、29歳でこの地に到達した。

 "山を行くこと400里あまりで、大清池(イシク・クル湖)に至る。

  この湖には竜と魚が棲む不思議なことがしばしば起きる。。。"と、

彼が感激のあまりトチ狂ったことを書いてしまったのもなんとなくうなずける。

Issik-kur

このバカでかい湖の底にはBC8世紀からAD5世紀に栄えた、

サカ族の古代都市が沈んでいて、

青銅器などが湖畔に打ち上げられることもあるらしい。

家畜の糞を踏みながら湖畔を散歩し、村を散策。

Issik-kur

ロシア人はここでは見かけられず、モンゴロイドのキルギス人が静かに暮らしている。

晩飯は豪華!

ロシア人おじさんがサーモンとサラミを提供。

陽気なママがたっぷりの新鮮サラダを作ってくれた。

ビシュケクでは肉ばっかり食べてたので体調が優れず、これでやっと回復できた。

翌朝、庭で取れたブルーベリージャムをパンに塗って食べる。

劇的にうまい!

うまいうまいと言ってがっついていると、1リットルくらいの瓶に詰めたジャムをくれた。

さすがにデカすぎなので、小瓶にしてもらったけど。。。


お世話になった家族にさよならをして、一路カラコルという街へ。

イシク・クル湖の東の端、折り返し地点だ。

ここはただの生活のための街といった印象。

回族が作ったモスクなどの他にはあまりおもしろいことは無かった。

Issik-kur

が、泊まった宿がかっこよすぎ!

渋いおじいさんと犬が暮らす民家。

Issik-kur

広い庭にはかなりヴィンテージなクルマが何台か放置されている。

Issik-kur

家の外壁には植物が這い回り、室内の調度品も古くて雰囲気がある。

寝室にピアノが。。。

Issik-kur

またまた場末の雰囲気漂うガランとしたカフェで夕食をとり、

街を徘徊していると、見つけてはいけないものを見つけてしまった。


「キャビア」。。。

確か170グラムくらいで、数百円。

即買い!

ユウタマエダ氏とニヤニヤしながら、

その黒い物体は、

スライスしたパンに豪快に塗りたくられて二人の胃袋に納まっていった。

カスピ海で満を帰して食べる予定だったけど、まあいいや。


翌日は湖の南側にあるタムガ村。

あいにく天気は快晴ではなかったが、綺麗な入り江を散歩。

太陽光線の射し方によって、

透明な水は藍色からターコイズのような色まで様々にその色を変える。

野郎が二人というシチュエーション以外は、完璧だ。。。

Issik-kur

乗り合いバンの運転手が言うには、

スポーツ・コンプレックスという施設に泊まれるとのこと。

しかし良くわからなかったが結局そこには泊まれず、

近くの民家まで職員に案内してもらった。


その民家の門がギイギイと音をたてながら開くと、

これまた動くとギイギイと音がしそうなおじいさんが現れた。

「ズドらーすとヴぃちぇ。。。」

ん?、、、おじいさんのその奥に今ちらっと見えたのはもしや!

やっぱり!!劇べっぴんなおねいさんではないですか!

はい、即決。。。


この家はシーズンだけ空き部屋を旅行者に貸す、

自給自足生活の家族が住む。

ユーラおじいさん、ナイスチャおねいさん、

そしておねいさんの子供のバーニャの三人。

Issik-kur

亭主が見当たらないけど、あえて未亡人と勝手に決め付けてみた。

Issik-kur

1歳半くらいのバーニャを借りて肩に担ぎ、湖畔を散歩。

Issik-kur

バーニャはいつもニコニコしててかわいい。

Issik-kur

おっさんみたいにガハガハと豪快に笑う。

Issik-kur

ここは村のセンターから外れているので、商店まではユーラじいのポンコツ車で。

Issik-kur

買うのは肉やパンだけで、あとは庭で収穫。

Issik-kur

言葉はろくに通じなかった。

Issik-kur

が、場末のうらびれた村の外れ、美しい湖の湖畔で、

ゆっくりと楽しいひと時を過ごすことができた。

Issik-kur

ビシュケクに戻り、ゲストハウスの仲間たちといつもの宴会生活。

晩飯をみんなで作り、酒をのむ。

オムさんは元フレンチのシェフ!

最高のアドバイスをもらいながら、毎日チキンを焼く。

僕と偶然にも共通の友人がいるイタさんのギターを聞きながら、

飲んだ暮れの生活は過ぎていく。


昨日までで、

ここで一緒に過ごしてきた5人の日本人旅行者たちはみんな、

ウズベキスタンでの近日再会を約束して南へと出発していった。


そろそろ後を追うことにしよう。

まずは次の目的地、北のカザフスタンだ。

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