Hitch the world

-Just a documentary on my journey-

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お墓の街 

クルグズスタンの首都ビシュケクを後にし、

カザフスタンを経由してウズベキスタンへ到着した。

カザフはシムケントという街に二泊したが、

新しい計画都市のため全く見所がつかめず、

無駄に市バスに乗り込んで、この綺麗に整備された街を散策した。

Symkent

結果、目新しいものは何も見つけられず。。。

というか新しすぎて興味が沸かない。

そのうち記憶から消えてしまいそうな街だった。

ウズベクの西の果てから再度カザフに入るので、

もっとディープなエリアであることを期待。


ウズベクとの国境は数箇所ある。

勢いよく乗り込んだ国境行きのバスは、外国人が通過できない国境に到着し、

泣く泣くタクシーで120km離れた国境まで。

お気に入りのウズベキスタンは人生二度目だ。


首都タシケントでビシュケク仲間と合流し、また宴会生活に突入。

アゼルバイジャンビザの申し込み手続きを終え、

前回と同じく鉄道は特急シャルク号に乗って日本人8名の大移動が始まった。

Tashkent

到着したのは、青の都サマルカンドだ。

青い幾何学模様のタイルが張り巡らされた、

今にも宇宙へ向けて発射しそうなロケットにも似た中世の巨大な建造物は、

前回来たときと何も変わらず、どっしりと鎮座している。

Samarqand

これらは全部お墓。

サマルカンドは中世オアシス都市であると同時に、

特大サイズのお墓の街なのだ。

Samarqand

しかし中世から変わらないのはこの巨大すぎる墓くらいで、

2年前と比べると古い商店やレストランは消滅してしまい、

日本のアウトレットショップのモールのような景色が至る所に。

Samarqand

露店が並んでいたレギスタン広場前の空き地は、

無駄に何百個もの照明が碁盤の目のように並ぶ、人気のない公園になっていた。

立ち退きで現地人が減ったのか、

レギスタン広場からバザールまでの一本道は以前より人気がなく、

みんな旅行者を珍しがらなくなっていた。

Samarqand

少し悲しいような気持ちで歩いていると、アウトレットモール群の隙間に謎の扉が。

その扉を開け、頭をかがめてくぐってみると、

そこには旧世界とまでは行かないが、白い土壁の家々が軒を連ね、

子供たちが駆け回り、老人がにこやかに笑顔を向けてくる世界が存在していた。

Samarqand

朝遅く起きてバザールを散策し、

行き止まりだらけの旧市街を練り歩き、

お気に入りのシャーヒ・ズィンダ廟で夕暮れを待つ生活。

Samarqand

最近若い人が亡くなったらしい。

旧市街で遺影を見た。

その人の葬式かは分からないが、

正装した大勢の男たちがシャーヒ・ズィンダ廟で祈りを捧げていた。

Samarqand

長く座っていると、地元の人たちに何度か囲まれる。

Samarqand

どこから来た?名前は?ジュモン(韓国の人気ドラマ)か?

Samarqand

つたないロシア語でギクシャクした会話を楽しむ。

Samarqand

夕暮れ時になるとみんな帰っていき、やっと静寂が訪れる。

Samarqand

ここは中央アジアだけど、なんかアジアという感じがしない。

Samarqand

クルグズスタンから西はロシアと中東のミックス地域のような印象だ。

文化はトルコ寄りだし、街を歩くとトルコ語も聞こえてくる。

Samarqand

旅行のスタイルも、今までのアジアの旅から変わった気がする。

今までのように山あり谷ありを一人でガツガツと前に進むのではなく、

観光地を巡りながら仲間と楽しく過ごす感じだ。

ヨーロッパに近づくとはこういうことなのかと思う。

Samarqand

タジキスタン国境近くの町、ウルグットの大きなバザールでは、

ウズベクの伝統的な刺繍を織り込んだスザニの市場を見た。

Urgut

迷路のようなこのバザールを抜け、近くの丘までウォーキング。

Urgut

車の往来の激しい通りを過ぎ、静かな村にさしかかる。

Urgut

途中では21歳になるニコニコしたウズベク青年の家に招かれ、お茶を頂く。

Urgut

バザールでズボンを売る仕事だそうだ。

Urgut

中国のウルムチまで飛行機で飛んで、仕入れ。

Urgut

観光もせずすぐに帰ってくるのだという。

Samarqand

宿に帰るといつものように、

仲間たちとウォッカとビールを空け、バックギャモンで一夜を明かす。

Samarqand

そんなゆるすぎる生活も既に終了。

Samarqand

さらに西へと一人旅を始めなくてはいけない。

アジア旅のガツガツした感覚を取り戻さなくては。
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灼熱絹道 

一旦タシケントに戻った。

カラマット・アパという人物が非合法で運営する闇宿に泊まり、

風邪をひいた。

無理やり体に鞭を打ってアゼルバイジャンのビザを取得。

2日間、

ガキどもや巨大なサンボの大会出場者がドタドタと歩き回る廊下で、

ひたすら寝る。


全快後はブハラ行きの夜行列車に乗り、懐かしのブハラ到着だ。

宿も2年前に泊まった民家風のゲストハウスにチェックイン。

外をふらつき始めると、前方から見慣れた人影が。

サマルカンドで別れた、おなじみユウタマエダ氏だ。

もうどこで会ってもお互い驚かなくなっている。。。

Buxara

6月のブハラの日中は、文字通り灼熱だ。

蜃気楼がゆらめき、

強烈な日差しは家々の白壁にべったりと張り付いている。

Buxara

一通りこの古い町を散歩し、

ソフトクリームをなめながら木陰で座っていると、

なにやら高校生くらいのウズベクお嬢さんが声をかけてきた。

Buxara

「さっきはすいませ~ん。」

はて、なんでしたかな?

そうだ、3時間ほど前に日本語で声をかけられて、

こっちが日本語で話し始めると、あわててイングリッシュプリーズと言った娘さんだ。

話を聞くと、ガイドの勉強をしているらしい。

格安で近場の観光スポット、ナクシュバンディー廟へ案内してくれると言う。

Buxara

翌朝10時集合の約束をして、宿に帰りマエダ氏と夕食。

この宿のオヤジは夕食時になると、必ず酒をタダで飲ませてくれる。

そして自分もたらふく飲む。

自分で飲みたいだけ、というのは彼の巨大な太鼓腹が物語っている。

その夜はうまいシャンパンで乾杯させてもらった。

Buxara

翌朝、ガイドの娘さんと、なぜかそのお姉さんが現れ、

とりあえずナクシュバンディー廟へ。

何番のバスに乗れば良いのか分かっておらず、

たまたま知っていた僕が口出ししてしまった。

ナクシュバンディーも暑くてあまり見る気がしない。

娘さん二人もテンション上がらず。。。

グダグダでブハラへ帰る。

Buxara

そろそろヒヴァに旅立つ頃合だと思い、

マエダ氏に別れを告げ、一路ヒヴァへ。

安いバスで行くつもりだったが、

暑さに思考能力を奪われバス停に辿り着けず、思わず「ヘイ、タクシー!」。

乗り合いタクシーでそのままヒヴァまで来てしまった。

450kmの道程は、途中に数箇所の村があるくらいで、

ほとんど灼熱のステップ砂漠。

韓国製のセダン、NEXIAは120kmで砂漠を突っ走る。

On the way to Xhiva

となりのおっさんのワキの下に、僕の肩が食い込む。

幸い、臭くない。

肩をずらして、

僕のワキのしたにおっさんの肩をはめ込んでやろうとするも、

ひらりとかわされる。

そんな攻防を無言のまま5時間ほど続け、到着。

さすが現地民、俺の負けだよ、おっさん。

Xhiva

ヒヴァは2年前とほとんど何も変わってない。

というか変わりようが無い。

城壁に囲まれた古くて小さな町。

ペルシャ人とロシア人を捕まえて奴隷にしていた牢屋からは、

相変わらず妖気が漂っている。

Xhiva

イギリスとロシアの陣取り合戦ではロシアの勝利に終わったが、

何度もロシアは大群を率いて遠征しては、敗北していた。

そんなにも彼らを苦しめたのは、冬は極寒、夏は酷暑の気候もあるけど、

中央アジア人の気質もあると思う。

タクシードライバーはほぼ100%、支払いの段階で豹変する。

車中では陽気に会話を交わしていたのに、

支払いでは顔を鬼のように変化させ、足りねぇー!と睨みを利かす。

一瞬、ぞっとする。

そんなときはこっちもカム・チベタンに変身して、

払うかボケカスー!!!オンマニペメフーム!!!

いやいや、今は髪型が人民カットだから漢人だ。没有、死了死了!!!!

Xhiva

でもヒヴァといいブハラといい、

前に一度来たところは、やっぱり面白さは半減だな。。。

いよいよ未知の領域、西カザフスタンに向けて出発だ!

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砂漠の先に 

ヒヴァでは、うだるような真夏日が続く。

直射日光の下では10分ともたない。

Xhiva

ここを出て北のカザフスタンに抜ければ、

少しは涼しくなるだろうという思い込みとともに

乗り合いタクシーに乗り込んだ。

Xhiva

500kmほど走ると、車はクングラットという町に着いた。

何の変哲もない、ただの田舎町だ。

ここで列車に乗り換える。

ヒヴァで同部屋だったタクシードライバーに、

クングラットでのホームステイを頼んでおいて正解だった。

$10で飯、シャワー、駅までの送迎付き。

普通にホテル探しをしてたら、

ホテル街など無いこんな町では探すための交通費が馬鹿にならない。


ここはカラカルパクスタン共和国といって、

ウズベキスタン内の自治共和国。

政治はある程度自主権があり、警察と軍はウズベク管轄だ。

巨大で強面だが人の良いカラカルパク人のおじさんの家で、

エミリャエンコ・フョードルの試合のDVDを、

夜遅くまでひたすら見て過ごす。

Qungrat

翌早朝、おじさんに起こされ無事列車に乗ることができた。

朝は気温が下がり、

一日がこの気温のまま過ぎ去ることを願うも、むなしい限り。

太陽からは強烈なビームが一方的に放たれ、列車の中は40度近い。

列車が車内イミグレと税関のために止まるとさらに体感温度は上がり、

30分で2リットルもの水を飲まざるを得ない。

太陽、砂漠、青空、真っ直ぐ伸びた線路、列車、ラクダ。。。

時折、大きな海のような蜃気楼が西の地平線上に現れては消える。

これはもしや。。。

景色は10時間、ほとんど変わらずだ。

Way to Beyneu

夕方にカザフスタンの田舎町、ベイネウに着いた。

ここからは自力でホテル探しだ。

聞き込みの結果、たった一件だけあることが判明。

1km歩いて漸く辿り着くも、

「イチバン安い部屋で、6000円、テンゲ払い。ドル無理。」

やる気の無いおばちゃんの冷たい対応はともかく、

下等ホテル一泊にそんな金を払うほどお人好しではない。

とりあえず、思いつきで団地に行くことにした。

団地の場所を確認し、近くの商店でとりあえず軽く腹ごしらえ。

商品は全部あわせてもで10kg分くらいしか置いていない。

缶詰、野菜、カップヌードル、タバコ、コーヒー、茶。

とりあえずカップヌードルを頼むと、

お兄さんが今ラーメンをすすっていたペンキの空き箱を軽くすすぎ、

フォークは特に洗わずにおもむろにカップラーメンを作り始めた。

それを見て力尽きた僕はなすがまま、ペンキの空き箱をすする。

「やーはちゅーじしょーびいいこーむなとぅ、、、ぐじぇ??

 (ワタシ ホシイ ヤスイ ヘヤ、、、 ドコ??)」

パキスタンで1ヶ月特訓したロシア語で聞いてみる。

よく分からんがどうやら、裏手の団地の一室が泊まれるらしい。

勧めてきた魚の缶詰を情報量として購入し、いざ、団地へ。

いわゆる闇宿で、一泊180円くらい。

おっさんが自分の家に客を雑魚寝させる方式。

巨大なおばちゃんやおっさんやお兄さんやらに混じって、

床に座布団を敷いて目を閉じ、その日はなんとか事なきを得た。

Beyneu

翌朝は西へ移動。

灼熱ステップ砂漠の中、8時間だ。

乗り込んで一眠りして、重大な事実に気がついた。

コンパスを見ると列車は東へと向かっている。

絶望感が襲う。

しかし周りの人に聞くと、ちゃんと目的地の街の名を言う。

こりゃ暑さでコンパスが狂ったか?なんて思ったりして、

なんとか自分を落ち着かせる。

もしくは、

地下資源があるから磁力強い何かがあるんじゃね?なんて思ったり。

思考を廻らしているうちに、終点のマンギスラックという駅に着いた。

列車を降りるとき、一人のおじさんに話しかけられる。

ロシア語だが、なんとなく判るようになってきた。

出稼ぎでどっかの田舎から出てきたようで、

目的地であるアクタウの街まで行くという。

バスが無いのでタクシーをシェアして、一路アクタウへ。

ネットで宿を見つけようと思いインターネット屋で降ろしてもらうも、

おじさんもなぜか付いて来てしまった。

情報入手後、タクシーでとりあえず団地へ。

おじさん、自分の宿は決まっているというのに、

またしても降りて、団地のおばさんと値段交渉をしてくれる。

高くてダメなので、さっきネットで情報入手した安宿へ行くことにした。

1500テンゲ(900円)のホテル・ケレメットというAC付きの宿だ。

場所はミクロラヨン3番地-20。

おじさん、まだ付いて来る。

サムライ、ヤクザ、タケシキタノ、タカダ(誰?)とか言ってはしゃいでいる。

タクシーも呼んでくれて、料金も強引に払ってくれた。

おじさん、部屋まで付いてきた。

あらら、どうしたのおじさん?

ぼく「ヴぃ はちゅー こーむなとぅ ずじぇーし?

   (アナタ ホシイ ヘヤ ココ?」

おじさん「ニェット (いいえ)」

そう言うとニコニコ顔で汗だくのまま、ふっと一息つくと、

それでは!と手を振って、消えていった。

ほぅ、神様かなんかの類だったか。。。

感謝とともに、

金を要求されなくて良かったという思いが、

同等の価値を持って頭の中に浮かんでしまっていた。


なんかこの旅行で、

金に対してはずいぶんとズルい考えを持つようになってしまった気がする。

貧乏な旅行はケチではあるけど、ズルくてはいけない。

移動費も年収が自分の10分の1以下の人に払ってもらう機会が多々ある。

別に自分で払っても痛くない金額だというのに。

まあ、卑怯な考えを反省しただけで、これからも機会があれば、

ありがとうとがっちり握手し、好意は無駄にしないぜ!

そんなことをぼんやりと考えつつ、

ここアクタウの街に辿り着いた理由である、とある場所へ歩いて向かう。

夕闇せまる中、

恋人たちがいちゃいちゃするおそらく旧ソ連時代に作られ、

打ち捨てられたテーマパークを突き抜けると、

それは目の前にでっかく待ち構えていた。


とうとう現れたな、カスピ海。

やっぱりあの車窓から見た特大の蜃気楼は、どうやらこいつだったようだ。

Aktau

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