Hitch the world

-Just a documentary on my journey-

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T-I-A 

エチオピアには何の覚悟もないまま飛んできた。

アフリカの国々の中では唯一、植民地化されなかった国なので、

独自の崇高な文化が残っているのでは?という期待はあった。

しかし。。。

寄ってくるのは大学生を装ったサギ師と子供だけ。

伝統文化だと言われて試したのは、

チャートと呼ばれるその辺に生えてる草をガムみたいに噛む、

一種の麻薬みたいなもの。

台湾のビンロウみたいなものだが、ぜんぜん効かない。

Addis Ababa

首都のアディス・アベバ到着当日にボッタクリキャバクラで一本とられた。

晩飯食うので安宿にいたおっさんにレストランがどこかを聞いたら、

連れてってやるとのことで行ってみると。。。

セクシーギャルたちがわんさかいて、目の前で踊り始める。

もう飯をオーダーした後だったので、逃げるタイミングを失った。

そして、ギャルのダンスを見ながらインジェラという”食える雑巾”のようなものを、

「はい、あ~んして。」的な感じで延々と口に押し込まれ、

本気で吐きそうになった。

エチオピアの国民食である。

Addis Ababa

いつの間にやらローカル酒である蜂蜜ワイン(まずい)のビンを13本もオーダーされ、

ギャルたちの胃袋に収まっていく。

「お会計、6000円也」

ほら来た、ほら来たよ。。。これだもの。。。。

屈強な黒人店員がいるし、逃げられんよ。。。。

こりゃ払うしかないもの。。。

なにやってんだか。。。

Addis Ababa

そんなこんなでエチオピアの第一印象は、「死ね!」と相成った。

T-I-A!!!!This-Is-Africaaaaa!!!!

映画「Blood Diamond」でシェラレオネの悪い黒人ボスが、

カラシニコフをぶっ放しながら叫ぶセリフが一晩中アタマの中を回っていた。


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インジェラです。 

昨晩のことは忘れて、アディス・アベバの街に繰り出した。

「コンニチワ!ぼくダニエル、大学生さ!ジャパニーズ!?」と名乗って、

やたらとしつこくその辺の店に連れてきたがる連中が多い。

むしろ、多すぎる。

伝統的なコーヒーセレモニーに参加したいだろ?とか、

伝統的なチャートセレモニーに興味あるだろ?とか。

セレモニーといっても、

ただコーヒーを入れてもらって飲むだけのこと。

昨晩のようにボッタクられるのがオチだ。

こいつらのせいでエチオピア人を信用できなくなった。


アディス・アベバの街は、今まで行ったどの首都よりも小さく暗い。

一歩裏路地に入ると、バナナの木が生い茂る湿地帯になってしまう。

この湿地帯の周辺にスラム街があるのだが、

立ち入ろうとすると勝手におじさんが案内を始めてしまい、

しつこく金を要求される。


とにかく、人々は貧しい。

平日に何もせず街をうろうろしている輩が多すぎる。

平均月収はどれくらいかを例のサギ師たちに聞いてみたところ、

ウェイターで5千円くらい、中央の公務員でも10万円くらいだそうな。

道端には乞食が溢れている。


インドの都市と比べると貧しいのに変わりは無いが、

ここには派手さと活気がなく、けだるい雰囲気が漂う。

Addis Ababa

交通量は少ない。

自家用車はかなり少なく、街を走っている車の6割は乗り合いバンだ。


飯は一様にとんでもなくまずい。

この16ヶ月の旅路で全くと言って良いほど食えないものは無かったが、

この国の食い物だけは、食えない。

そこそこおいしいイタリアンの店を見つけたが、

いつも食材があるとは限らず、泣く泣くインジェラを食う羽目になる。


好き嫌いが無かった僕だが、

この後は好き嫌いはある?と聞かれたら、迷わずこう答える。

「インジェラです。」

Addis Ababa

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密林へ 

印象のよくないアディス・アベバを後にし、一路、南へ。

Wondo Genetという温泉に行くことにした。

アディス・アベバで風邪をひいたため、療養の目的もある。

Wondo Genet

このあたりには密林を切り開いて造られた村々がある。

Wondo Genet

熱帯植物の生い茂る密林の上空を、大人くらいの大きさの鳥が旋回している。

Wondo Genet

翼竜が飛んでいた頃の太古の森を想起させる、そんな場所だ。

Wondo Genet

この村の子供たちは密林から薪を切り、毎日、村へ運んで売っている。

両親、兄弟姉妹とともに片道3~4kmの道をとぼとぼと下を向き何往復もする。


Wondo Genet

日給、100円もしないだろう。

こんなのが一生続く彼らの生活。

Wondo Genet

そりゃ外国人を見れば狂ったようにダッシュで寄ってきて、

「マニー!マニー!」

と言われても、ひっ叩きたいくらいウザイがとても憎むことなんてできない。

世の中に公平なんてものは存在しない。

Wondo Genet

毎日、温泉と村との間を密林の中の一本道を歩いて通う。

中には顔見知りになる人もいて挨拶するようになったり、

子供もマニーとは言わなくなる。

Wondo Genet

温泉は熱い打たせ湯と温水プールがあり、かなり療養できた。

この旅の間はバスタブには入れないし、

寒い中、冷水を頭からかぶるしかないこともしばしば。

心機一転、さらに南を目指す。

Wondo Genet

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民族探訪 

ケニア国境近くまで南下してきた。

このあたりは少数民族の暮らすエリアだ。

Jinka

土曜のジンカ村でのマーケット開催日にあわせて移動する。

ISUZUのトラックをヒッチハイクすると、

マーケットに向かうと思われるバンナ族が乗り込んできた。

こちらに興味が無い様子で、なんだか堂々としていてカッコいい。

本当はムルシ族(下唇のお皿で有名)が見たかったが、

http://africa.travel.coocan.jp/zukanmurshi.html

ジンカ村にはお皿をはめている者は見つけられなかった。

Jinka

ムルシ族の拠点であるマゴナショナルパークまで行こうか考えたが、

ジンカ村自体を相当気に入ってしまい、

この村で残りの日数を目いっぱい過ごすことにした。

Jinka

村はメインストリートと横道に商店や宿がいくつかあるのみで、

一歩村を外れると広大な密林が広がっている。

良いレストランも発見したけど、日によっては食材が足りない。

Jinka

普通の服装をした人々がほとんどで、

もちろん都会よりも貧しいのだが、穏やかでやさしく、

アディス・アベバのエチオピア人への悪印象を浄化するには良いところだ。

Jinka

毎日、バナナの生い茂る密林をとおり、隣の村や集落へと足を運んだ。

Jinka

毎日だいたい同じ時間に雨が降る。

Jinka

時折、激しいスコールが降り、道は一時、泥流と化す。

Jinka

雨宿りしていても、村人との交流は途絶えない。

Jinka

それでも太陽が出れば使い捨てられた滑走路から綺麗な夕焼けが見えるし、

ヌーの大群ならぬ、家畜牛の大群が見える。

Jinka

Jinka

子供は相変わらず無邪気な笑顔を振りまいて「マニー!」。

Jinka

子供の中には、

いつも僕を見つけては手をつないできてただニコニコしているカワイイ子もいる。

Jinka

どの家庭もどう見ても超貧乏で、財産を隠し持っているようなことは有り得ない。

Jinka

お金が存在しなかったころは自給自足のみの生活で満足していただろう。

Jinka

なぜなら、

彼らの持っているものの中で、お金で買ったものなんてほんの一部分でしかないから。

Jinka

彼らにとってはお金はやっかいものでしかないように思える。

Jinka

微々たるお金しか持てないのに、

世の中にはテレビがあったり、コンピューターやカメラ、

カッコイイ車なんかがあるのを知ってしまっている。

Jinka

それなのに厳しい生活からは現実的に逃れられないし、

賢い人はたくさんいるが、逃れるための原動力となる教育もない。

Jinka

毎晩、

若者は真っ暗なバーでひとつのビールをちびちび飲んで、

一人で頭をぐったり垂らしているか、仲間と何がしかの話をしている。

Jinka

何を考えているのか知らないが、楽しそうには見えない。

割れたスピーカーからは大音量のエチオピア音楽がビリビリと放たれている。

これが村で唯一の娯楽だ。

Jinka

一人旅ってのも相まってか、今までで最も精神的に厳しい。


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はい、アフリカ終了 

アルバ・ミンチというそこそこの街まで北上してきた。

Jinka

エチオピアの移動はけっこうな地獄だ。

人類が誕生したと言われる大地溝帯を何時間も走る。

ぶっ飛ばしたいのだがパワーがないし未舗装路がほとんど。

おまけに山道なので、

のろのろ登ったり、下りで調子の乗って飛ばしてパンクしたり。

便は朝の5時発、一本勝負!ってのがほとんど。

悪霊が入ってくるだとかで窓は閉めたままで暑いし、

ニワトリは床を駆けずり回るし、

人は風呂に入らないから臭いし、眠いし、ケツ痛い。。。


なにも無い町でヒマなのでドルゼ族のマーケットを訪れた。

ヒッチハイクで30kmほど北上し、湖を眼下に見ながらトラックは山を登る。


到着すると、やってるやってる。

売っているものは食材がほとんど。

タマゴ、毛糸、ハニーワイン、地ビール、家畜、

野菜、ひょうたんの壺、わけの分からん物体などなど。

Dorze

ドルゼ族は別に見た目に特徴があるわけではないが、

家が面白い形をしている。

三つの家から成っていて、左右にハネムーン用の家、キッチン用の家。

中央にはメインの家がある。

中央の家の中に仕切りがなく、

寝室、ロビー、家畜スペースがある。

しかし寝室とかロビーという語感からは想像できないほど質素だ。

そして、家畜のクソだらけ。。。

残念である。

Dorze

食い物は、偽バナナの木(やたらでかいバナナの木に似たもの)の皮を剥いで、

こねた物を土に埋めて三ヵ月間も醗酵させ、

掘り起こして焼いて食う。

インジェラよりまずく、強いて言うならば胃酸を拭いた雑巾。

非常に残念である。


この国の田舎の人々のほとんどは、

人類が誕生してから基本ほとんど変わらない生活をしているのでは?

Dorze

文字通り彼らにとっては未来の国から来た者にとっては、

この20万年の間にキミたち何をやってたのかね!?と言いたくなる。

しかし彼らにもいろいろと言い分があるのだろう。

逆に、素のままの人間を見るために来たとも言える。

Dorze

いづれにせよ、

この旅で群を抜いて最もキツかったエチオピアの旅が終わった。

ボッタくられ、風邪ひいて寝込み、人々からは一日に何百回も金を要求され、

食い物が乏しく、移動は地獄、

そして何よりもシリアスな貧困に毎日直面し続けた。

ある大学生は、「金が無くて食えねえから勉強なんかろくにできねえ。」と言い放った。

インドのように待ってれば面白いものが向こうからやって来てくれるわけでもない。

極め付けは、もちろん全員ではないが金の話抜きで人と話せないこと。


この短い旅の後半に、

アフリカを7ヶ月かけて全部行くという日本人のお兄さんに出会った。

この旅で唯一出会ったツーリストだ。

すでに2ヶ月が経っているとのことだったが、

Tシャツが肩からビリビリに裂けていた。。。

いったい何が!?


別れ際に”ご愁傷様です。。。”と言いかけて、

慌てて”気をつけていってらっしゃい!”と言葉を変えた。

それくらい、僕にとっては辛い旅だった。

肉体的にではなく、精神的に。

ヨーロッパで中東で大分甘ったれた旅をしてきたのも一因だろう。

このエチオピアの旅だけで、僕にはアフリカは無理だと悟ったのだった。

そのくらい、この一連のショックはでかい。

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