Hitch the world

-Just a documentary on my journey-

07« 1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30.31.»09

最新記事

カテゴリ

月別アーカイブ

訪問者数

スポンサーサイト 

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

[edit]

trackback: --  /  comment: --  /  スポンサー広告

爆殺都市 

インドの楽しみ方がぼんやりと分かったところで、

残念ながら(嬉しいことながら?)、

この国に別れを告げるときがやってきた。

Delhi

カオス渦巻くニューデリーを後にし、アムリトサルへ。

インドでの移動は、10時間以上バスや電車に乗ることが普通。

電車なら、事前予約により寝台を取れるけど、

急に移動したくなったときは、乗り込んだ者勝ちのバスだ。

クッションの潰れた硬いパイプ椅子に座り12時間。

Delhi

アムリトサルはスィク教徒の街。

彼らは外部の者に対して寛大で、

無料宿泊施設や無料の食料供給所があり、

一晩だけやっかいになった。

ゴールデン・テンプルという、

黄金を惜しみなく使った寺院に到着したのは、

夜中の3時。

にも関らず、大勢の人々が参拝に訪れていた。


神輿を担いだ信者たちがゴールデン・テンプルに入っていく様子を、

沐浴池の淵に座り、眠い目をこすりながらぼんやりと眺めていた。

無料宿泊施設グル・ラム・ダスで仮眠をとり、翌朝すぐに国境へ。


いよいよ、パキスタン。

今はタリバンによる自爆テロの頻発する、

昔々はムガル帝国の首都であった、

ラホールへ向かうのだ。

もちろん近況は事前に把握している。

国境は難なく通過。

日本人と言うと、厳しいと聞いていた荷物チェックも無し。

荷物チェックで遅れていたフランスのナイスガイ、

セドリック氏とともに、リキシャー、バスを乗り継いで市内へ。

到着した宿、

リーガル・インターネット・インには意外にも先客がちらほら。


ここのオーナーは、

爆殺されたブット元首相のスピーチライターをしていたと自称する、マリク氏。

絶対ウソ。

彼の誘いで、スーフィー・ダンスを見に行くことにした。

これが、予想を遥かに凌駕するものだった。。。

Lahore

学校の教科書に載っていた写真では、上品そうなモスクで、

数人が等間隔に並び、

綺麗な衣装でくるくる回る姿が印象的だったが、

そうではなかく、むしろ、その間逆。


耳が聞こえず、手話で話していた髭の大男がいて、

マリクと何かを話し、

特別席に座らせてもらっていた僕のほうに来て挨拶を交わした後、

おもむろに太鼓を担ぎ、

もう2人の太鼓叩きとともに、

大声で何かを天に向かって叫んだ(耳が聞こえないはずでは?)。

と、次の瞬間、腹に重く響く音量で、

しかもかなりの早いビートを打ち鳴らし始めた。

Lahore

ロケーションは、

今にも宇宙へ発射してしまいそうな尖塔が、

ロケットのように高くそびえる、墓場。

とんでもないことが起こる予感を前に、心の準備が追いつかない。

そして、ふらふらと、一人、二人、

墓場から蘇った亡霊のように、

よろめきながら、太鼓叩きの前にきた。

首は垂れたまま、太鼓叩きに向き合い、

鼓動に乗せて足踏みを始める。

Lahore

そして、一人が天を仰いで雄叫びをあげ、

くるくるとゆっくり回り始める。

他の者もゆっくりと回り始める。

Lahore

だんだん回るスピードは上がっていき、

雄叫びもボリュームを上げていく。

観客のボルテージも上がっていく。

Lahore

踊る者は3人、4人と増えていき、

最後には7、8人が入り乱れて、

長髪を振り乱し、とにかく叫びながら高速で、

回り、跳び、走り、また回る。

Lahore

時には、片足で回り、大きくジャンプし、

スカートがパラシュートのように開く。

あまりにも高速で回るので、間近では風圧と風を切る音を感じる。

Lahore

太鼓のテンションは最初から最後までマックスだ。

2時間、3時間と休み無しで、

水も飲まずにとにかく頭を振り乱し、回り、叫ぶ。

目は完全に、獣の目だ。

Lahore

踊り狂う獣の亡霊。

絶叫、回転、飛翔、疾走の繰り返し。

蝋燭だけが何事もないように平然とゆっくりと溶け、

ゆらゆらと、揺らめいている。

Lahore

太鼓打ちも、踊る者も、大勢の観客も、恍惚状態。

でも、酒やドラッグをやっている気配は一切ない。

イスラムの一派らしいが、全く別モノというか、

完全にアニミズムやシャーマニズムの世界みたいだ。

他国のスーフィーは、

もしかしたらまた趣が異なるのかもしれないが、

とにかく、

イスラム神秘主義のおとなしそうなイメージは完全に覆された。

Lahore

今でも頭から離れない。

気づくと、あの出来事を始めから最後まで、頭の中で再生している。


ラホール市はというと、空気は排ガスで汚いが、

ゴミが少ないクリーンな近代都市といった印象。

インド人は口をそろえて、

パキスタンへ行ったら間違いなく殺されるぞ、

あいつらは最低な奴らだ、騙されるぞ、と僕を脅していたが、

一言で言うと、逆だ。

ただ、毎月のように発生するタリバーンによる自爆テロのせいで、

どこか人々は肩を落として歩いているように見える。

話は脱線して、

マリク氏が冗談で言っていたが、

ビンラディンはどこにいると思うか?というこちらの質問に対し、

間髪入れず、こう答えた。


「ホワイトハウス」!!!


取り急ぎこの街の人々について言えば、

長い旅行をしていると言うと、

タクシードライバーは「金は要らない」と言ってくれたり、

タクシーを降りた後も近くの通行人になにやら話し、

僕の行きたいところまでの案内を勝手に交渉してくれ、

通行人も笑顔で引き受けてくれたりする。

もちろん100%信じるのは危険だが、

このバトンタッチ方式で、迷うことなく目的地まで辿り着けている。

3日間の滞在中、2度、同じことがあった。


最初100ルピーと言われて、こちらが納得した後でも、

目的地に着くなりやっぱり80ルピーでいいよ、

と言ってくれるドライバーもいた。

インドも大半は善人だけど、こういうことは一切なかった。

どちらかと言うと、バングラデシュと同じ感覚。

どちらも元はひとつの国であり、

ムスリム国家だからなのかどうかはまだ分からない。


話は替わって、教科書のガンダーラ美術のページには必ず、

断食でガリガリに痩せこけ、瞑想するブッダの写真が載っていた。

Lahore

これがラホール・ミュージアムにあるというので行ってみた。

時代別、文化別に展示品が分かれていて、5分ほど彷徨った挙句、

やっと目的のそれをガラスケースの中に見つけた。

印象は、言うに及ばず、「ガリガリ」の一言に尽きる。

とにかく、「ガリガリ」。

写真で見るよりも、「ガリガリ」。

どうみても「ガリガリ」。

Lahore

そして、宿に戻ってから自分の体系をチェックしてみた。

「ガリガリ」。

半年間に及んだベジタリアン生活ももう終わる。

この間は不思議とだいぶ体調が良かったように思うけど、

これからはパミール、崑崙、ヒンドゥークシュ、

そして再びヒマラヤという名だたる山脈に挑む。

その前にたらふく肉を喰らって、肉付けに挑むのだ。

ただし、いきなり喰うと吐くので、少しずつ。。


ともかくそんな素晴らしいラホール市に別れを告げ、

首都イスラマバードに隣接するラワルピンディ市に到着した。

バス停に到着後、

隣の席だった老紳士にエスコートされて、

何の不自由もなくライトバンに乗り、市内へ。

ドライバーの口からはまたもや「金はいらないよ!」。


タクシーに乗換え、目的の宿「ポピュラー・イン」の近くの、

フォワラ・チョーク交差点ヘ。

ドライバーに足元に気をつけてと言われOKと返事をした直後、

仰向けに派手にすっ転んでびしょびしょになった。


外は、嵐だ。

Lahore
スポンサーサイト

[edit]

フンザ渓谷到着 

PM2:00ラワルピンディ発ギルギット行きのバスは、定刻どおりに発車した。

遠く、いわゆる東トルキスタン共和国(中華人民共和国 新疆ウイグル自治区)の街、

カシュガルまで続くカラコルム・ハイウェイの旅の始まりだ。

Rawalpindy

ラワルピンディは、

民衆の息遣いが聞こえるカオティックな街といった印象だが、

対象的に双子都市であるイスラマバードは碁盤の目のような計画都市で、

ブロックごとをF7やG6などの名称で呼び、道路も広く、

イギリス領だったにもかかわらず、旧ソ連の匂いがする。

この双子の街では特筆するようなこともなく、早々と立ち去った。

Islamabad

カラコルム・ハイウェイを、バスはぐんぐんとスピードを上げて突っ走る。

窓から見る景色は、広く乾燥した荒野。

巨大な火の玉が西の空と地平線との間に、ゆらゆらと漂っている。

タリバンが暗躍する、注目の北西辺境州を抜け、

月明かりが辺りを照らしだす頃、バスは山中深くへと入り込む。

熟睡できずに朝を迎えたが、

深く大地を削りながら流れるインダス川に沿い、

バスはまだ山中を猛々と砂煙を上げて、この大地の裂け目を走り続けていた。


午前中は晴れ。

赤茶色の山々はバスの動きにあわせて、

手前の山から順に左右にゆっくりと退いていき、

巨大な白銀の塊が中央に姿を現した。

周囲に5000~7000m級の巨大な白い峰々を従えた、

世界第9位の高さを誇るナンガ・パルバット峰、8125mだ。

ヒマーラヤの西の果てに位置するこいつは、

年間7mmのスピードで、成長している生きた山だ。

見とれていて、写真を撮るのを忘れた。


もうひとつ、

パキスタンにある山と言えば、世界第2位の”K2”だ。

こいつがカラコルム山脈のかなり奥のほうに、

どっしりと、微動だにせず、

雪を被った巨大なピラミッドのような図体で、息を潜めているらしい。


ドライバーは昼を過ぎても仮眠もとらず、

落ち窪んだ両の眼を全開にして、

地層が垂直に走る断崖絶壁を、

アジアン・プレートとインディアン・プレートの狭間を、

ただアクセルを踏み続ける。

ギルギットの街への到着は、出発から25時間後だった。

お気に入りの皮サンダルの底にタイヤの切れ端を貼り付けてもらい、

1000円でウールのジャケットを調達した。


ギルギットからはバンに乗り換え、5時間の道程。

次第に辺りは下から順に、

フンザ・リバー、

切り立った断崖絶壁に埋め込まれた古代の地層、

せり出した台地、

花をつけ始めた桜の木々、

またさらに縦横無尽に走る地層とほぼ垂直な断崖絶壁、

そして5000m以上の雪山がそれらのすべてを真上から覆う。

窓から入り込む隙間風は雪山を駆け巡った後で、

神聖化しているようだ。

かなり冷える。


そして日が完全に落ちた頃、

桜、杏、林檎、桃の花々が順々に咲き誇る風の谷、

カリマバード村へと到着した。

[edit]

どこへ行こう 

フンザ谷のカリマバード村に到着して、一週間が経とうとしている。

杏の花は散り始め、桜の季節が始まろうとしている。

Karimabad

数名の中年日本人旅行者、こころやさしい住民、

宿の主人であるちょっと呆けたハイダー爺さんと静かに暮らす日々。

ハイダー爺さんは、僕のことを”じいちゃ~ん”と呼ぶ。

自分がゆっくり登場するシーンでも、”あ~、じいちゃんじいちゃん”とか言って、

階段を上げってきたり、厨房からひょっこり出てきたりする。

謎だけど、かわいい。。。

Karimabad

しかし、

、、、、何かが足りない。

”ここはまったりしていて良いところじゃないか、ゆっくりしようや...”と、

まわりはそう言う。

、、、、何かが違う。

Karimabad

鉛色の雲が厚く空を覆っており、晴れ間は日に一瞬だけ。

そんな空模様も手伝って、何かが胸の内でくすぶる。

、、、、どうする?動くか?

ふとそう思った瞬間、

25時間のバス行程のなかで見た、あの世界No9の雄姿を思い出していた。

確か、奴への入り口は今は雪で閉ざされているが4月15日には開くはず。

、、、、遅い!

テント、寝袋、防寒着、食料、ガスバーナー、フラッシュライト、

あと必要なものは???

写真機、バッテリー類、ライターくらいか???

地図を広げて眺めが良さそうな場所を探す。

ここから2日行程くらいバスで戻ってから比較的簡単に歩けそうな、

”Fairy meadow"とかいうふざけた名の場所を発見。

そのまま訳すと”おとぎ話の牧場”だ。

メルヘン?

名前なんて何でもいい、ここに決めた!

雪上か雪解け後の高地での山篭りになるだろう。

Karimabad

でもまだ時間がある。

ずっと気になっていたのだが、

バルティット古城の裏の山の裂け目のさらに奥に、

雪山へ続く道らしきものが見える。

Karimabad

その道の先は、雲に隠れて見えない。

奥のど真ん中にあると思われる雪山の頂も、雲の中。

逆に、村とフンザ川を挟んだ、その雪山の真正面にも、

氷河と、同様に頂が見えない雪山へと続く道らしきものがある。

Karimabad

これもずっと気になっていた道だ。

毎日、根気よく見つめていたが、

先に何があるのか全然見えてこない。

でっかい山があるのは確かだ。

確かめに行く価値はありそうだ。

Karimabad

[edit]

晴れた日には 

晴れ間を待って気になっている谷を見に行こうと思い立った3日後、

いきなり朝から雪が降り、このままずっと止まないかと思われた。

Karimabad

しかし、午後から一転して快晴。

フンザ谷に来てから初めての青空だ。

Karimabad

この急激な天気の変化にモチベーションはついて行けず、

未だに気になっている例の谷へは行っていない。

Karimabad

この晴れた日には、村をはずれて遠くまで散歩。

カラコルムハイウェイ建設・補強中の中国人労働者と飯を食った。

河南省出身で、深センでコンピューター技師をしていたが、

何故かこんなところにもう3年もいるという。

Karimabad

危険な仕事なので稼ぎが良いらしい。

実家に帰るのは旧正月だけ。

ここでもう一年働くという。

例によって、昼飯と茶をご馳走になってしまった。。

Karimabad

その後は曇天の日が続いているため、

あてもなく村中をうろつき回って、何か面白いことがないか探す毎日。

Karimabad

ここでは各家庭で織られている絨毯がかっこいい。

現行のペルシア絨毯に比べると、当たり前だけど異常に安いし、

短期旅行だったら勢いで買い込んでいたはずだ。

1.8m×1.2mくらいで、1万8千円くらい。

Karimabad

柄はかなり豊富で、厚手のウール製がよさそうだ。

模様は幾何学模様が多い。

ガーネットなどの宝石も近くで採れる。

Karimabad

この地方では、隣の谷に行くと言語が変わってしまう。

僕がいるフンザ谷のカリマバード村はブルシャスキー語。

ウルドゥーともヒンディーともイントネーションが全く異なり、

ギリシア語やイタリア語のように聞こえる。

Karimabad

アレクサンダー大王軍の末裔という噂もちらほらあるので、

東欧のマケドニア近辺から来た言葉なのかも知れない。

顔は東欧系に見えるけど、みんな背がかなり低いのでなんかチグハグな感じだ。

Karimabad

旅行者とデータ交換をして、80GBのiPODはパンク寸前。

もらった映画を見た。

Karimabad

飛べない豚はただの豚らしい。

アドリア海ってどこだ!?

Karimabad

[edit]

牧場への道 

どんよりと重い鉛色の雲が、

先カンブリア紀の地層がむき出しになった回廊に蓋をする。

Fairy meadow

時々、バックパックのレインカバーを小雨が打ちつける。

Fairy meadow

このタイムトンネルを抜ければ、例の”おとぎ話の牧場”。

でも、行けども行けども着かない。

往路はずっと登りになるのだが、1350mも上昇しなければいけないうえに、

道自体も延々14kmもある。

最初の計画では、初日にFairy Meadowに到着できることになってたが、

Joelという寒村に到着したときには辺りは真っ暗。

ここで一泊しようと、宿らしきものを探し始めた。

すでに歩き始めて5時間が経っていた。

すると、前方から大きな黒い塊がこっちに向かって来る。

黒い馬に乗った青年だった。


「アッサラームアレイクム!」

「アレイクムアッサラーム。。。」


宿があるというので後を追っていくと、小屋に着いた。

ここで出迎えてくれたのが、24歳にしては老けすぎなJan氏。

Fairy meadow

彼は山小屋をFairy Meadowにも持っているというので、

お世話になることにした。

彼の作る”豆汁ご飯”は、最高に美味い。

Fairy meadow

翌朝7:00、Joel村の前に立ちはだかるでかい山を登り始める。

今までの回廊風の道とは違って、険しい山道だ。

Fairy meadow

それでも2時間ほどすると、やっとFairy Meadowに到着。

Fairy meadow

晴れていれば眺めは抜群のはず。

Fairy meadow

巨大な氷河の向こうにまた巨大に雪山がそそり立っている。

Fairy meadow

足元の牧場は一面、緑色の絨毯を敷いたよう。

Fairy meadow

で、気づいたのが3つの事実。

1、客が自分だけということ。

2、雲が厚くナンガ・パルバット峰の全体像が見えないこと。

3、Jan氏以下、彼の従弟、甥までもが世話役でついてきたこと。

1と3は良いとして、2は致命的。。。

Fairy meadow

もうどうでも良くなって、テンションの高い従弟と甥にカメラを渡してしまい、

しばらく帰ってこなくて不安になった。

Fairy meadow

朝と昼は、持参したパンやインスタントヌードル、マカロニを自炊。

夜は、激美味の”豆汁ご飯”を作ってもらう。高いけど。

Fairy meadow

薪を割り、カマドにくべる。

炎がゆらゆらとみんなの顔を照らす。

ネパールでのトレッキングの日々が思い起こされる。

Fairy meadow

晴れないので、一泊だけで下山した。

Fairy meadow

Joel村でまた一泊。

Fairy meadow

Jan氏が遅い昼飯いを食いに2kmとなりのTato村まで行っている間に、

今度はJan氏の4歳の息子と、別の12歳の甥、5歳の甥が現れた。

Fairy meadow

彼らは手際よく、小屋の鍵を開け、薪を割り、

水を汲み、かまどに火を入れた。

Fairy meadow

子供ながら一人前に働いている。

Fairy meadow

晩飯はみんなで激美味豆汁ご飯。

チャイをすすり、従弟と青年のほうの甥が撮った写真の鑑賞会をして、

早めに床についた。

夜になると雲が晴れ、満点の星空が姿を現す。

朝方にはまたどんよりとした雲にこの寒村は覆われる。

帰りはまた先カンブリア紀のワープホールをくぐり抜けて、

Ricot Bridgeというインダス川の架かる橋まで降りる。

Fairy meadow

この橋を越えると、やっと現世に戻れるといった感じだ。

Fairy meadow

3日ぶりのけたたましい自動車の音が少し新鮮に感じる。

そこからGilgitの町までヒッチハイク。

Fairy meadow

Gilgitの宿のおっさんやらおっさんやらに、

お帰り、雨が降ってたから心配してたぞ、

5時間でJoel着いたの?速いなー!と、なかなか嬉しい言葉をかけてもらい、

このささやかなトレッキングの旅は終了した。

今はまたKarimabad村。

花はすでに散り、新緑の季節を迎えようとしている。

[edit]

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。